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<title>羆出没記録</title>
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<description>旅好きのσ(^_^)が出没した地域の事を中心に書いています。更新は少し時差があります。２月２１日から京都府シリーズです。１２月２９日は５００回目の書き込みとなりました。ＨＰには笑える旅の話もあります。よろしくね♪</description>
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<title>今熊野観音寺</title> 
<link>http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=26&amp;a=0</link> 
<description>泉湧寺の北側に今熊野観音寺はあります。泉湧寺と同じくＪＲと京阪電鉄東福寺駅から徒歩約２０分、京都駅からバスで泉涌寺道下車徒歩約１０分の所にあり、拝観無料です。/
//
/これまでに何回か言っていますが、σ(^_^)の実家は西国三十三箇所参りをしています。で、ここ今熊野観音寺は西国三十三箇所観音霊場の第十五番札所でもあります。その他にもぼけ封じ・近畿十楽観音霊場の第一番札所、洛陽三十三所観音霊場の第十九番札所でもあります。「頭の観音さん」として広く人々の信仰がある真言宗泉涌寺派の寺です。ここも紅葉の名所なようで、本堂前には「五色のもみじ」があります。穴場の紅葉スポットではないかと思います。 /
//
/平安時代初期、弘法大師空海が唐から帰朝した頃、嵯峨天皇の勅願により創建されたようです。空海が東寺で真言密教の修行をしていた時に、東山の山中に光が差し、そこへ行くと山中で老翁に会い、一寸八分の十一面観世音菩薩像と一夥の宝印を老翁から授かったそうです。その老翁は自分は熊野の権現だと伝えました。空海は熊野権現のお告げのまま、体内仏として自ら十一面観世音菩薩像を彫刻し、安置したのが始まりとされています。１２００年経った今でも、十一面観世音菩薩像は弘法大師作の秘仏として大切に祀られています。またこの時に空海が、観世音を祀る霊地を選ぶために杖で岩根を叩くと霊泉が湧き出したそうで、空海はこの泉を「五智水」と名付けたそうで、今もその水は湧き出しています。後白河天皇が、を深く今熊野観音寺信仰し、新那智山と号して今熊野観音寺と称したようです。/
/ /
/今熊野観音寺ということは昔は何観音寺だったんだ？というほっしゃん的なオチしか思い浮かびませんでした・・・。</description> 
<content:encoded><![CDATA[泉湧寺の北側に今熊野観音寺はあります。泉湧寺と同じくＪＲと京阪電鉄東福寺駅から徒歩約２０分、京都駅からバスで泉涌寺道下車徒歩約１０分の所にあり、拝観無料です。<br />
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これまでに何回か言っていますが、σ(^_^)の実家は西国三十三箇所参りをしています。で、ここ今熊野観音寺は西国三十三箇所観音霊場の第十五番札所でもあります。その他にもぼけ封じ・近畿十楽観音霊場の第一番札所、洛陽三十三所観音霊場の第十九番札所でもあります。「頭の観音さん」として広く人々の信仰がある真言宗泉涌寺派の寺です。ここも紅葉の名所なようで、本堂前には「五色のもみじ」があります。穴場の紅葉スポットではないかと思います。 <br />
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平安時代初期、弘法大師空海が唐から帰朝した頃、嵯峨天皇の勅願により創建されたようです。空海が東寺で真言密教の修行をしていた時に、東山の山中に光が差し、そこへ行くと山中で老翁に会い、一寸八分の十一面観世音菩薩像と一夥の宝印を老翁から授かったそうです。その老翁は自分は熊野の権現だと伝えました。空海は熊野権現のお告げのまま、体内仏として自ら十一面観世音菩薩像を彫刻し、安置したのが始まりとされています。１２００年経った今でも、十一面観世音菩薩像は弘法大師作の秘仏として大切に祀られています。またこの時に空海が、観世音を祀る霊地を選ぶために杖で岩根を叩くと霊泉が湧き出したそうで、空海はこの泉を「五智水」と名付けたそうで、今もその水は湧き出しています。後白河天皇が、を深く今熊野観音寺信仰し、新那智山と号して今熊野観音寺と称したようです。<br />
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今熊野観音寺ということは昔は何観音寺だったんだ？というほっしゃん的なオチしか思い浮かびませんでした・・・。]]></content:encoded> 
<dc:subject>旅行</dc:subject> 
<dc:date>2006-03-26T02:04:42+09:00</dc:date> 
<dc:creator>higuma</dc:creator> 
</item><item rdf:about="http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=25&amp;a=0">
<title>泉湧寺</title> 
<link>http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=25&amp;a=0</link> 
<description>東福寺の奥手にあり、ＪＲと京阪電鉄東福寺駅から徒歩約２０分、京都駅からバスで泉涌寺道下車徒歩約１０分の所にあり、拝観料は３００円です。/
//
/弘法大師空海が建立した法輪寺が始まりで、後に仙遊寺改称されました。１２１８年宋から帰朝した月輪大師によって再興されましたが、その際、境内より清泉が湧き出したので、泉涌寺と改名されました。この泉は今も枯れる事なく涌き続けています。後鳥羽上皇が月輪大師に帰依してからは皇室の信仰が厚く、１２４２年四条天皇陵が境内に造営されたのを始めとして、江戸時代には後水尾天皇から光明天皇まで歴代の天皇陵や皇族など２５陵もの陵墓が造営されました。皇室の菩提所であることから御寺と呼ばれ、真言宗泉湧寺の総本山でもあります。東福寺とともに紅葉の名所でもあります。/
//
/境内には仏殿・舎利殿・観音堂・開山塔などの伽藍が並んでいます。大門は重要文化財に指定されていて、京都御所から移築されたものと伝えられています。また、伽羅中心部よりも高い所に建っているのは珍しいそうです。大門の正面にある仏殿は、徳川家綱が再建した重層入母屋造りの禅宗様式建築で重要文化財に指定されています。運慶作と伝える釈迦・弥陀・弥勒の三尊が安置され、天井画と裏堂の白衣観音の壁画は狩野探幽筆とされています。/
/ /
/また、唐の玄宗皇帝が亡き楊貴妃の冥福を祈り、楊貴妃に似せて彫らせたと言われる楊貴妃観音像も安置されています。昭和３０年までは１００年に１度しか公開されなかったらしいです。確かに美しい見事な観音様だと思いました。その美貌で皇后の座についた楊貴妃にあやかろうと、良縁・美人祈願に訪れる女性も多いとか。神頼みで美人にはなれないと思うので、自分で切り拓いて良縁を見つけるしかなさそうだと思います。 /
//
/σ(^_^)の親父も会社で、自分の嫁は「ヨウキヒ」みたいだと言っていたようです。ちなみに親父が言うには、その「ヨウキヒ」とは「陽気なヒヒ」の略だそうです。</description> 
<content:encoded><![CDATA[東福寺の奥手にあり、ＪＲと京阪電鉄東福寺駅から徒歩約２０分、京都駅からバスで泉涌寺道下車徒歩約１０分の所にあり、拝観料は３００円です。<br />
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弘法大師空海が建立した法輪寺が始まりで、後に仙遊寺改称されました。１２１８年宋から帰朝した月輪大師によって再興されましたが、その際、境内より清泉が湧き出したので、泉涌寺と改名されました。この泉は今も枯れる事なく涌き続けています。後鳥羽上皇が月輪大師に帰依してからは皇室の信仰が厚く、１２４２年四条天皇陵が境内に造営されたのを始めとして、江戸時代には後水尾天皇から光明天皇まで歴代の天皇陵や皇族など２５陵もの陵墓が造営されました。皇室の菩提所であることから御寺と呼ばれ、真言宗泉湧寺の総本山でもあります。東福寺とともに紅葉の名所でもあります。<br />
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境内には仏殿・舎利殿・観音堂・開山塔などの伽藍が並んでいます。大門は重要文化財に指定されていて、京都御所から移築されたものと伝えられています。また、伽羅中心部よりも高い所に建っているのは珍しいそうです。大門の正面にある仏殿は、徳川家綱が再建した重層入母屋造りの禅宗様式建築で重要文化財に指定されています。運慶作と伝える釈迦・弥陀・弥勒の三尊が安置され、天井画と裏堂の白衣観音の壁画は狩野探幽筆とされています。<br />
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また、唐の玄宗皇帝が亡き楊貴妃の冥福を祈り、楊貴妃に似せて彫らせたと言われる楊貴妃観音像も安置されています。昭和３０年までは１００年に１度しか公開されなかったらしいです。確かに美しい見事な観音様だと思いました。その美貌で皇后の座についた楊貴妃にあやかろうと、良縁・美人祈願に訪れる女性も多いとか。神頼みで美人にはなれないと思うので、自分で切り拓いて良縁を見つけるしかなさそうだと思います。 <br />
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σ(^_^)の親父も会社で、自分の嫁は「ヨウキヒ」みたいだと言っていたようです。ちなみに親父が言うには、その「ヨウキヒ」とは「陽気なヒヒ」の略だそうです。]]></content:encoded> 
<dc:subject>旅行</dc:subject> 
<dc:date>2006-03-25T00:43:07+09:00</dc:date> 
<dc:creator>higuma</dc:creator> 
</item><item rdf:about="http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=24&amp;a=0">
<title>東福寺</title> 
<link>http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=24&amp;a=0</link> 
<description>ＪＲと京阪電鉄の東福寺駅から徒歩で８分ほど、京都からも市バスが出ています。京阪電鉄の鳥羽街道からも歩いて行けます。拝観料は通天橋と方丈庭園がそれぞれ４００円ずつです。/
//
/東福寺は摂政の九条道家が１２３６年に建立を発願してから、１９年がかりで完成した大寺で、聖一国師を開山として造営したものです。臨済宗東福寺派の大本山です。山号は慧日山といいます。京都五山のひとつで、１３３４年には京都五山の第３位になっています。奈良最大の寺院の東大寺のように、また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で，「東」と「福」の１字ずつを取ったものと言われています。初めは建仁寺と同様に禅を中心として天台・真言・禅の各宗兼学の堂塔を完備しましたが、次第に禅寺となっていきました。何度も火災で焼失していますが、その都度、足利義持、豊臣秀吉、徳川家康など時の権力者によって再興されて、禅宗伽藍が整えられていきました。　明治１４年に惜しくも仏殿・法堂・方丈・庫裡を焼失しましたが、随時再建されました。/
//
/有料の通天橋と方丈庭園を中心に三門・禅堂・東司などを拝観するのが一般的だと思います。通天橋は本堂と聖一国師の塔所で上層に楼閣を乗せた珍しい建物である開山堂を結ぶ歩廊の途中の川に架かる橋です。紅葉の名所でもあり、通天橋のバックに紅葉を入れると良い構図となります。方丈庭園はその名の通り、苔と石の市松模様が美しい庭です。三門は空門・無相門・無作門の５間３戸、重層入母屋造りの雄大な門です。足利義持の再建で現存する禅宗の三門では日本最古のもので国宝となっています。禅堂は日本最古で最大のもので重要文化財となっています。三門西側にある東司は室町時代に建てられた禅宗式トイレで、百雪隠とも呼ばれて重要文化財になっています。窓からのぞくと多くの壺と説明板があります。禅僧にとっては用を足すことも修行の１つだったようです。/
//
/σ(^_^)はこのブログで毎回のようにオチをつけることが修行みたいになっています。</description> 
<content:encoded><![CDATA[<img src="http://suk2.tok2.com/user/higuma/img/2006-03-24-0.jpg" align=left>ＪＲと京阪電鉄の東福寺駅から徒歩で８分ほど、京都からも市バスが出ています。京阪電鉄の鳥羽街道からも歩いて行けます。拝観料は通天橋と方丈庭園がそれぞれ４００円ずつです。<br />
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東福寺は摂政の九条道家が１２３６年に建立を発願してから、１９年がかりで完成した大寺で、聖一国師を開山として造営したものです。臨済宗東福寺派の大本山です。山号は慧日山といいます。京都五山のひとつで、１３３４年には京都五山の第３位になっています。奈良最大の寺院の東大寺のように、また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で，「東」と「福」の１字ずつを取ったものと言われています。初めは建仁寺と同様に禅を中心として天台・真言・禅の各宗兼学の堂塔を完備しましたが、次第に禅寺となっていきました。何度も火災で焼失していますが、その都度、足利義持、豊臣秀吉、徳川家康など時の権力者によって再興されて、禅宗伽藍が整えられていきました。　明治１４年に惜しくも仏殿・法堂・方丈・庫裡を焼失しましたが、随時再建されました。<br />
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有料の通天橋と方丈庭園を中心に三門・禅堂・東司などを拝観するのが一般的だと思います。通天橋は本堂と聖一国師の塔所で上層に楼閣を乗せた珍しい建物である開山堂を結ぶ歩廊の途中の川に架かる橋です。紅葉の名所でもあり、通天橋のバックに紅葉を入れると良い構図となります。方丈庭園はその名の通り、苔と石の市松模様が美しい庭です。三門は空門・無相門・無作門の５間３戸、重層入母屋造りの雄大な門です。足利義持の再建で現存する禅宗の三門では日本最古のもので国宝となっています。禅堂は日本最古で最大のもので重要文化財となっています。三門西側にある東司は室町時代に建てられた禅宗式トイレで、百雪隠とも呼ばれて重要文化財になっています。窓からのぞくと多くの壺と説明板があります。禅僧にとっては用を足すことも修行の１つだったようです。<br />
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σ(^_^)はこのブログで毎回のようにオチをつけることが修行みたいになっています。]]></content:encoded> 
<dc:subject>旅行</dc:subject> 
<dc:date>2006-03-24T00:12:25+09:00</dc:date> 
<dc:creator>higuma</dc:creator> 
</item><item rdf:about="http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=23&amp;a=0">
<title>伏見稲荷大社</title> 
<link>http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=23&amp;a=0</link> 
<description>ＪＲ稲荷駅から徒歩３分、京阪電鉄伏見稲荷駅から徒歩５分のところに伏見稲荷大社があります。大社への参道には伏見人形、稲荷寿司、キツネの煎餅などのお土産物店が並びます。驚くのがスズメとウズラの姿焼き。食べる気にはなりません。/
//
/稲荷山の山麓に位置し、全国約４万の稲荷神社の総本宮です。７１１年の創建で、京都で最も古い神社の一つです。お稲荷さんの愛称で親しまれ、初詣も賑わいます。渡来人の秦氏が農耕神として祀ったのが最初といわれています。秦氏は小豪族として勢力を伸ばしました。伏見稲荷大社は『枕草子』や『蜻蛉日記』にも登場し、五穀豊穣、商売繁盛、交通安全などのご利益があります。/
//
/大鳥居を抜けると絢爛とそそり立つ桜門、そして檜皮葺きの本殿、権殿など重厚な社殿が並んでいます。本殿は、応仁の乱で焼失し、室町時代に再建されたもので、重要文化財に指定されています。蓮、牡丹唐獅子など、稲荷彫刻などの桃山彫刻が配されています。/
//
/伏見稲荷大社の中でも圧巻なのが千本鳥居です。その数約２万とさえいわれています。稲荷山山腹の奥宮から奥社にかけて林立する鳥居が千本鳥居と呼ばれています。隙間無く建ち並ぶ朱色の鳥居は、本当にすごいです。迷路にいるような感覚にもなります。これを抜けるとお山めぐりという約４kmのちょっとしたハイキングコースがありますが、しんどそうなのでσ(^_^)はやめました。/
//
/稲荷神社のシンボルである狐の像が、様々な所にあり、その表情も違うので楽しみながら歩いてみてください。また、ユニークといえるのかわかりませんが、奥社におもかる石という石があります。燈籠の最上部の石がそれです。この石を持ち上げたとき軽いと感じたら願い事が叶い、重いと感じたら叶わないといわれています。まぁ、重いといえば重いし、軽いといえば軽いんでしょうけど、やっぱり石ですからそれなりの重さはあります。ですので、その石を持つ前に&lt;FONT color=&quot;#0000FF&quot;&gt;&lt;B&gt;「この石は大型冷蔵庫ぐらいの重さがある！」&lt;/B&gt;&lt;/FONT&gt;と固定観念を植え付けておくと、とっても軽く感じると思います。 </description> 
<content:encoded><![CDATA[<img src="http://suk2.tok2.com/user/higuma/img/2006-03-23-0.jpg" align=left>ＪＲ稲荷駅から徒歩３分、京阪電鉄伏見稲荷駅から徒歩５分のところに伏見稲荷大社があります。大社への参道には伏見人形、稲荷寿司、キツネの煎餅などのお土産物店が並びます。驚くのがスズメとウズラの姿焼き。食べる気にはなりません。<br />
<br />
稲荷山の山麓に位置し、全国約４万の稲荷神社の総本宮です。７１１年の創建で、京都で最も古い神社の一つです。お稲荷さんの愛称で親しまれ、初詣も賑わいます。渡来人の秦氏が農耕神として祀ったのが最初といわれています。秦氏は小豪族として勢力を伸ばしました。伏見稲荷大社は『枕草子』や『蜻蛉日記』にも登場し、五穀豊穣、商売繁盛、交通安全などのご利益があります。<br />
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大鳥居を抜けると絢爛とそそり立つ桜門、そして檜皮葺きの本殿、権殿など重厚な社殿が並んでいます。本殿は、応仁の乱で焼失し、室町時代に再建されたもので、重要文化財に指定されています。蓮、牡丹唐獅子など、稲荷彫刻などの桃山彫刻が配されています。<br />
<br />
伏見稲荷大社の中でも圧巻なのが千本鳥居です。その数約２万とさえいわれています。稲荷山山腹の奥宮から奥社にかけて林立する鳥居が千本鳥居と呼ばれています。隙間無く建ち並ぶ朱色の鳥居は、本当にすごいです。迷路にいるような感覚にもなります。これを抜けるとお山めぐりという約４kmのちょっとしたハイキングコースがありますが、しんどそうなのでσ(^_^)はやめました。<br />
<br />
稲荷神社のシンボルである狐の像が、様々な所にあり、その表情も違うので楽しみながら歩いてみてください。また、ユニークといえるのかわかりませんが、奥社におもかる石という石があります。燈籠の最上部の石がそれです。この石を持ち上げたとき軽いと感じたら願い事が叶い、重いと感じたら叶わないといわれています。まぁ、重いといえば重いし、軽いといえば軽いんでしょうけど、やっぱり石ですからそれなりの重さはあります。ですので、その石を持つ前に<FONT color="#0000FF"><B>「この石は大型冷蔵庫ぐらいの重さがある！」</B></FONT>と固定観念を植え付けておくと、とっても軽く感じると思います。 ]]></content:encoded> 
<dc:subject>旅行</dc:subject> 
<dc:date>2006-03-23T01:55:45+09:00</dc:date> 
<dc:creator>higuma</dc:creator> 
</item><item rdf:about="http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=22&amp;a=0">
<title>伏見の酒</title> 
<link>http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=22&amp;a=0</link> 
<description>伏見といえば兵庫の灘と並ぶ酒の産地として有名です。現在、３４の蔵元があり、生産量でも灘に次いで全国２位を誇っています。/
//
/その歴史は古く、日本に稲作が伝わった弥生時代まで遡るそうです。その酒が花開いたのは、安土桃山時代。豊臣秀吉の伏見城築城とともに城下町として栄え、京・大坂・堺に次ぐ都市になったのです。酒の需要も急激に高まり、改良されて伏見の酒も一躍脚光を浴びました。江戸時代には伏見は港町として発展し、伏見の酒は旅人の口こみで有名になりました。参勤交代制度ができると、西国大名は伏見でしばらく滞在して、江戸へ行くようになりました。このために伏見には多くの大名屋敷・倉庫・旅籠が建ち並び、重要な拠点となったのです。それにともなって造り酒屋の数も急増したのです。/
//
/しかし米が貴重な時代ですので、幕府から制限を受けて、経営困難になる蔵が続出しました。また、幕府は灘や伊丹、池田を幕府直轄の酒造地として手厚く保護する一方、伏見の酒はその対象からはずれ、京の町へ伏見の酒が入ることを禁止したので、伏見の造り酒屋は激減しました。幕末まで生き残って酒造業を続けたのは、たった二軒だけ。その１軒が鮒屋こと北川本家で、もう１軒が笠置屋（現在の月桂冠株式会社）です。明治時代になって伏見の酒は勢いを盛り返し、全国にその名を知らしめました。明治４４の農商務省主催全国清酒品評会では、出品２８点のうち伏見の酒の入賞が２３点と全国最高位を占め、中でも月桂冠は最優等の栄冠を手にしたのです。/
//
/酒造りにはうまい水が欠かせません。良質で豊富な地下水に恵まれることが、銘醸地の条件といえます。伏見はかって「伏水」ともいわれていたように、良質の地下水が豊富に湧き出る場所でした。そのすぐれた地下水の伝説をもつのが御香宮神社です。今でも境内に清泉が湧き、「日本名水百選」のひとつに選ばれています。伏見の水の水質は鉄分を含まず、カリウム・カルシウムなどをバランスよく含んだ中硬水で、酒造りに最適の条件を満たしています。ちなみに灘の宮水は硬水です。この水の違いにより、灘の酒は一般的に辛口で“男酒”と呼ばれるのに対し、伏見の酒はきめが細かくふっくらとしたやわらかい味の“女酒”と呼ばれてます。/
//
/ちなみにσ(^_^)はどちらかというと酒より女の方がいいですが、女はσ(^_^)より酒の方がいいみたいです。</description> 
<content:encoded><![CDATA[伏見といえば兵庫の灘と並ぶ酒の産地として有名です。現在、３４の蔵元があり、生産量でも灘に次いで全国２位を誇っています。<br />
<br />
その歴史は古く、日本に稲作が伝わった弥生時代まで遡るそうです。その酒が花開いたのは、安土桃山時代。豊臣秀吉の伏見城築城とともに城下町として栄え、京・大坂・堺に次ぐ都市になったのです。酒の需要も急激に高まり、改良されて伏見の酒も一躍脚光を浴びました。江戸時代には伏見は港町として発展し、伏見の酒は旅人の口こみで有名になりました。参勤交代制度ができると、西国大名は伏見でしばらく滞在して、江戸へ行くようになりました。このために伏見には多くの大名屋敷・倉庫・旅籠が建ち並び、重要な拠点となったのです。それにともなって造り酒屋の数も急増したのです。<br />
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しかし米が貴重な時代ですので、幕府から制限を受けて、経営困難になる蔵が続出しました。また、幕府は灘や伊丹、池田を幕府直轄の酒造地として手厚く保護する一方、伏見の酒はその対象からはずれ、京の町へ伏見の酒が入ることを禁止したので、伏見の造り酒屋は激減しました。幕末まで生き残って酒造業を続けたのは、たった二軒だけ。その１軒が鮒屋こと北川本家で、もう１軒が笠置屋（現在の月桂冠株式会社）です。明治時代になって伏見の酒は勢いを盛り返し、全国にその名を知らしめました。明治４４の農商務省主催全国清酒品評会では、出品２８点のうち伏見の酒の入賞が２３点と全国最高位を占め、中でも月桂冠は最優等の栄冠を手にしたのです。<br />
<br />
酒造りにはうまい水が欠かせません。良質で豊富な地下水に恵まれることが、銘醸地の条件といえます。伏見はかって「伏水」ともいわれていたように、良質の地下水が豊富に湧き出る場所でした。そのすぐれた地下水の伝説をもつのが御香宮神社です。今でも境内に清泉が湧き、「日本名水百選」のひとつに選ばれています。伏見の水の水質は鉄分を含まず、カリウム・カルシウムなどをバランスよく含んだ中硬水で、酒造りに最適の条件を満たしています。ちなみに灘の宮水は硬水です。この水の違いにより、灘の酒は一般的に辛口で“男酒”と呼ばれるのに対し、伏見の酒はきめが細かくふっくらとしたやわらかい味の“女酒”と呼ばれてます。<br />
<br />
ちなみにσ(^_^)はどちらかというと酒より女の方がいいですが、女はσ(^_^)より酒の方がいいみたいです。]]></content:encoded> 
<dc:subject>旅行</dc:subject> 
<dc:date>2006-03-22T01:03:44+09:00</dc:date> 
<dc:creator>higuma</dc:creator> 
</item><item rdf:about="http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=21&amp;a=0">
<title>城南宮</title> 
<link>http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=21&amp;a=0</link> 
<description>城南宮は方除の大社として有名です。神功皇后が八千矛神(大国主命)を招いて戦勝を祈願した御旗を、平安遷都の際に桓武天皇が御神体として納めて大国主命、国常立尊と神功皇后の御霊を都の守護神としてあわせ祀ったのが始まりとされています。平安時代末に、白河上皇が城南離宮・鳥羽離宮を造営して院政を開始し、白河・鳥羽・後白河・後鳥羽上皇４代１５０年にわたり文化・政治の中心地にもなりました。城南宮は離宮の守護神として崇められたそうです。社殿を取り囲む楽水苑は春の山・平安の庭・室町の庭・桃山の庭・城南離宮の庭と趣の異なる５つの庭があり、それぞれの趣を楽しむことができます。苑内には紫式部の源氏物語に登場する植物約１００種が植栽され、源氏物語をご存知の方はより一層楽しめそうです。苑内には伏見の地下水が引かれていて、平安の庭の遣水で、毎年４月末と１１月始めの祝日曲水の宴が行われます。/
//
/城南宮は近鉄京都線竹田駅から徒歩で１５分ほど。国道１号線沿いにあります。名神高速の京都南インターチェンジから程近いせいもあって、ラブホテル街もすぐそこです。σ(^_^)が静粛に城南宮をお参りしている頃、ラブホテル街では…。そんなことを思うと神なんて信用できねー！という抜群のロケーションにあります。</description> 
<content:encoded><![CDATA[城南宮は方除の大社として有名です。神功皇后が八千矛神(大国主命)を招いて戦勝を祈願した御旗を、平安遷都の際に桓武天皇が御神体として納めて大国主命、国常立尊と神功皇后の御霊を都の守護神としてあわせ祀ったのが始まりとされています。平安時代末に、白河上皇が城南離宮・鳥羽離宮を造営して院政を開始し、白河・鳥羽・後白河・後鳥羽上皇４代１５０年にわたり文化・政治の中心地にもなりました。城南宮は離宮の守護神として崇められたそうです。社殿を取り囲む楽水苑は春の山・平安の庭・室町の庭・桃山の庭・城南離宮の庭と趣の異なる５つの庭があり、それぞれの趣を楽しむことができます。苑内には紫式部の源氏物語に登場する植物約１００種が植栽され、源氏物語をご存知の方はより一層楽しめそうです。苑内には伏見の地下水が引かれていて、平安の庭の遣水で、毎年４月末と１１月始めの祝日曲水の宴が行われます。<br />
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城南宮は近鉄京都線竹田駅から徒歩で１５分ほど。国道１号線沿いにあります。名神高速の京都南インターチェンジから程近いせいもあって、ラブホテル街もすぐそこです。σ(^_^)が静粛に城南宮をお参りしている頃、ラブホテル街では…。そんなことを思うと神なんて信用できねー！という抜群のロケーションにあります。]]></content:encoded> 
<dc:subject>旅行</dc:subject> 
<dc:date>2006-03-21T23:21:10+09:00</dc:date> 
<dc:creator>higuma</dc:creator> 
</item><item rdf:about="http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=20&amp;a=0">
<title>伏見桃山城</title> 
<link>http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=20&amp;a=0</link> 
<description>京阪電鉄と近鉄の丹波橋駅から歩いて１０分ほどのところに伏見桃山城があります。かつては伏見桃山キャッスルランドという遊園地が併設されていました。しかし、伏見桃山城キャッスルランドは業績が悪く、業績好転の要因なしということで遊園地が２００３年１月に閉園されてから、城も中に入ることができなくなりました。シンボルタワーでもある天守閣も含め、建物は破却すると発表されたのですが、伏見桃山のシンボルとして、城を存続させようと市民が運動し、公的施設として保存されることとなり、 公園として再度復活する予定です。/
//
/伏見城は関ヶ原の戦いの前哨戦により落城し、徳川家康・秀忠によって西の抑えとして再建されましたが、豊臣の滅亡により戦略的価値が無くなり、三代将軍家光の時代に一国一城令により廃城なりました。廃城の際に城内の建物は各地に移築され、現存するものとして福山城の伏見櫓などがあります。その跡地に桃が植えられたことから、このあたりが桃山と呼ばれるようになったそうです。その後、京都商工会議所が中心となり、この城の復元を目指して建設したのが伏見桃山城です。元の地のすぐ南側に明治天皇陵があるために、やや北に天守閣と遊園地が作られ「伏見桃山城」と呼ばれるようになりました。/
//
/伏見城は、豊臣秀吉が最後に作った城として有名である。秀吉が晩年に、ここに別荘となる城を築きました。最初は宇治川と木津川の合流付近に水城を計画したのですが、大地震で崩れてしまったので、その対岸に平山城を造りました。秀吉の死後、徳川家康が入城して、１６１５年の大阪の陣で徳川方の本城となったのは皮肉なことです。/
//
/復元された城は鉄筋コンクリート製で、細部は桃山形式で統一して、秀吉の伏見築城当時を再現しています。天守閣は５重７層で建坪の大きさは大阪城、姫路城に次いで、当時全国で３番目の大きさの天守閣で名古屋城とほぼ同じサイズでした。また、小天守閣は、３重５層で彦根城の天守閣とほぼ同じサイズです。/
//
/ちなみに城の偉大さはσ(^_^)とほぼ同じサイズです♪</description> 
<content:encoded><![CDATA[<img src="http://suk2.tok2.com/user/higuma/img/2006-03-20-0.jpg" align=left>京阪電鉄と近鉄の丹波橋駅から歩いて１０分ほどのところに伏見桃山城があります。かつては伏見桃山キャッスルランドという遊園地が併設されていました。しかし、伏見桃山城キャッスルランドは業績が悪く、業績好転の要因なしということで遊園地が２００３年１月に閉園されてから、城も中に入ることができなくなりました。シンボルタワーでもある天守閣も含め、建物は破却すると発表されたのですが、伏見桃山のシンボルとして、城を存続させようと市民が運動し、公的施設として保存されることとなり、 公園として再度復活する予定です。<br />
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伏見城は関ヶ原の戦いの前哨戦により落城し、徳川家康・秀忠によって西の抑えとして再建されましたが、豊臣の滅亡により戦略的価値が無くなり、三代将軍家光の時代に一国一城令により廃城なりました。廃城の際に城内の建物は各地に移築され、現存するものとして福山城の伏見櫓などがあります。その跡地に桃が植えられたことから、このあたりが桃山と呼ばれるようになったそうです。その後、京都商工会議所が中心となり、この城の復元を目指して建設したのが伏見桃山城です。元の地のすぐ南側に明治天皇陵があるために、やや北に天守閣と遊園地が作られ「伏見桃山城」と呼ばれるようになりました。<br />
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伏見城は、豊臣秀吉が最後に作った城として有名である。秀吉が晩年に、ここに別荘となる城を築きました。最初は宇治川と木津川の合流付近に水城を計画したのですが、大地震で崩れてしまったので、その対岸に平山城を造りました。秀吉の死後、徳川家康が入城して、１６１５年の大阪の陣で徳川方の本城となったのは皮肉なことです。<br />
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復元された城は鉄筋コンクリート製で、細部は桃山形式で統一して、秀吉の伏見築城当時を再現しています。天守閣は５重７層で建坪の大きさは大阪城、姫路城に次いで、当時全国で３番目の大きさの天守閣で名古屋城とほぼ同じサイズでした。また、小天守閣は、３重５層で彦根城の天守閣とほぼ同じサイズです。<br />
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ちなみに城の偉大さはσ(^_^)とほぼ同じサイズです♪]]></content:encoded> 
<dc:subject>旅行</dc:subject> 
<dc:date>2006-03-20T01:41:51+09:00</dc:date> 
<dc:creator>higuma</dc:creator> 
</item><item rdf:about="http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=19&amp;a=0">
<title>寺田屋</title> 
<link>http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=19&amp;a=0</link> 
<description>京阪電鉄中書島(ちゅうしょじま)駅を下りて歩いて５分ほどのところに寺田屋という宿があります。歴史の好きな人はすぐにピンと来るはずだと思います。坂本龍馬の定宿で、おりょうさんとの恋の宿としても知られています。寺田屋と書かれた提灯は今も当時のままを使用しているそうで、昔の船宿風情を味わうことができ、現在も宿泊することができます。室内には坂本龍馬が使用した部屋もそのまま残っていて、柱には刀の傷や弾痕などもあり、それもそのまま保存されています。ちなみに見学料金として４００円かかります。/
//
/幕末期には寺田屋は討幕派の定宿ともなりました。「維新は寺田屋の一室から生まれたり」と言われるように、寺田屋から明治維新が生まれたと言っても過言がないぐらいです。そのためにこの寺田屋をめぐって幾つか歴史に名を残す事件も起こっています。/
//
/１８６２年、薩摩藩尊王派が、薩摩藩藩主の父で事実上の指導者島津久光によって粛清された事件である寺田屋騒動が起こりました。藩兵約千名を率いて上洛した久光は、日本中の尊王派の希望を受けましたが、久光は当時、倒幕の意志がなく、公武合体が基本路線だったのです。これに不満だった薩摩藩の尊王派の志士らが共謀して関白九条尚忠と京都所司代酒井忠義邸を襲撃する事を決定し、寺田屋に集まりました。当時、寺田屋は薩摩藩の定宿でもあったのです。久光は家臣の跳ね上がりを嫌い、同じく尊王派だった奈良喜八郎らに同士打ちをさせました。/
//
/また、１８６６年に寺田屋事件も起こっています。宿泊していた坂本龍馬が伏見奉行配下に暗殺されかけた事件です。坂本龍馬は同宿の養女で後の妻となったお龍が機転をきかし、護衛の三吉慎蔵の働きによって、暗殺を免れ、その後しばらくの間は西郷隆盛の斡旋によって鹿児島に潜伏しました。そんな歴史に残る事件があったので、寺田屋の庭の前には寺田屋騒動で散った薩摩九烈士の碑や坂本龍馬の銅像などが建っています。 /
//
/寺田屋も災難だったと思います。しかし、昔のことを思い出すと小学校の時に同じクラスだった寺田さんはどうしているだろう？ということしか思い浮かばないところがσ(^_^)の学のないところです。</description> 
<content:encoded><![CDATA[京阪電鉄中書島(ちゅうしょじま)駅を下りて歩いて５分ほどのところに寺田屋という宿があります。歴史の好きな人はすぐにピンと来るはずだと思います。坂本龍馬の定宿で、おりょうさんとの恋の宿としても知られています。寺田屋と書かれた提灯は今も当時のままを使用しているそうで、昔の船宿風情を味わうことができ、現在も宿泊することができます。室内には坂本龍馬が使用した部屋もそのまま残っていて、柱には刀の傷や弾痕などもあり、それもそのまま保存されています。ちなみに見学料金として４００円かかります。<br />
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幕末期には寺田屋は討幕派の定宿ともなりました。「維新は寺田屋の一室から生まれたり」と言われるように、寺田屋から明治維新が生まれたと言っても過言がないぐらいです。そのためにこの寺田屋をめぐって幾つか歴史に名を残す事件も起こっています。<br />
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１８６２年、薩摩藩尊王派が、薩摩藩藩主の父で事実上の指導者島津久光によって粛清された事件である寺田屋騒動が起こりました。藩兵約千名を率いて上洛した久光は、日本中の尊王派の希望を受けましたが、久光は当時、倒幕の意志がなく、公武合体が基本路線だったのです。これに不満だった薩摩藩の尊王派の志士らが共謀して関白九条尚忠と京都所司代酒井忠義邸を襲撃する事を決定し、寺田屋に集まりました。当時、寺田屋は薩摩藩の定宿でもあったのです。久光は家臣の跳ね上がりを嫌い、同じく尊王派だった奈良喜八郎らに同士打ちをさせました。<br />
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また、１８６６年に寺田屋事件も起こっています。宿泊していた坂本龍馬が伏見奉行配下に暗殺されかけた事件です。坂本龍馬は同宿の養女で後の妻となったお龍が機転をきかし、護衛の三吉慎蔵の働きによって、暗殺を免れ、その後しばらくの間は西郷隆盛の斡旋によって鹿児島に潜伏しました。そんな歴史に残る事件があったので、寺田屋の庭の前には寺田屋騒動で散った薩摩九烈士の碑や坂本龍馬の銅像などが建っています。 <br />
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寺田屋も災難だったと思います。しかし、昔のことを思い出すと小学校の時に同じクラスだった寺田さんはどうしているだろう？ということしか思い浮かばないところがσ(^_^)の学のないところです。]]></content:encoded> 
<dc:subject>旅行</dc:subject> 
<dc:date>2006-03-19T01:18:46+09:00</dc:date> 
<dc:creator>higuma</dc:creator> 
</item><item rdf:about="http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=18&amp;a=0">
<title>石清水八幡宮</title> 
<link>http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=18&amp;a=0</link> 
<description>天王山の南には男山という山があります。京阪電車で八幡市駅で下車し、駅前から男山ケーブルに乗ると男山山頂に着きます。山頂駅すぐ前の急な石段を登ると展望台があります。京都方向は素晴らしい景色がを眺められます。また、谷崎潤一郎の文学碑もあります。/
//
/竹林の中を歩いていく参道を進んでいくと日本三大八幡宮のひとつ、石清水八幡宮に着きます。行教律師が８５９年に王城鎮護のために宇佐八幡宮を勧請したのが始まりとされています。応神天皇・神功皇后・比?大神を祀っています。特に源氏からの信仰が厚かったために分社が全国各地にあります。現在の社殿は１６３４年、三代将軍、徳川家光の造営によるもので国の重要文化財となっています。/
//
/境内の広場の一角にはエジソン記念碑があります。エジソンは１８７９年に白熱電灯を発明しましたが、そのフィラメントの材料に石清水八幡宮の竹が使われたことを記念して建てられたものです。何とも驚きです。また、裏参道は急な階段が続いていますが、途中の石清水社の前には名前の由来となった霊水の石清水が湧いています。/
//
/八幡市駅の南側、一の鳥居前に「やわた走井餅」というお休み処があります。名物の走井餅は近江産のもち米から作る餅にこし餡を包んだもので素朴な味わいが楽しめます。石清水八幡宮に行くのならせっかくですので、こちらで素朴な味を楽しんでみてください。餅はありますが、オチはありません。</description> 
<content:encoded><![CDATA[天王山の南には男山という山があります。京阪電車で八幡市駅で下車し、駅前から男山ケーブルに乗ると男山山頂に着きます。山頂駅すぐ前の急な石段を登ると展望台があります。京都方向は素晴らしい景色がを眺められます。また、谷崎潤一郎の文学碑もあります。<br />
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竹林の中を歩いていく参道を進んでいくと日本三大八幡宮のひとつ、石清水八幡宮に着きます。行教律師が８５９年に王城鎮護のために宇佐八幡宮を勧請したのが始まりとされています。応神天皇・神功皇后・比?大神を祀っています。特に源氏からの信仰が厚かったために分社が全国各地にあります。現在の社殿は１６３４年、三代将軍、徳川家光の造営によるもので国の重要文化財となっています。<br />
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境内の広場の一角にはエジソン記念碑があります。エジソンは１８７９年に白熱電灯を発明しましたが、そのフィラメントの材料に石清水八幡宮の竹が使われたことを記念して建てられたものです。何とも驚きです。また、裏参道は急な階段が続いていますが、途中の石清水社の前には名前の由来となった霊水の石清水が湧いています。<br />
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八幡市駅の南側、一の鳥居前に「やわた走井餅」というお休み処があります。名物の走井餅は近江産のもち米から作る餅にこし餡を包んだもので素朴な味わいが楽しめます。石清水八幡宮に行くのならせっかくですので、こちらで素朴な味を楽しんでみてください。餅はありますが、オチはありません。]]></content:encoded> 
<dc:subject>旅行</dc:subject> 
<dc:date>2006-03-18T22:20:46+09:00</dc:date> 
<dc:creator>higuma</dc:creator> 
</item><item rdf:about="http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=17&amp;a=0">
<title>天王山</title> 
<link>http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=17&amp;a=0</link> 
<description>１５８２年、本能寺の変で織田信長が自害した後に明智光秀は、豊臣秀吉と天王山で山崎の合戦を展開し、光秀軍が敗れました。明智光秀の三日天下といわれるものです。天王山は南北朝や応仁の戦乱でも戦略上の要地として争奪の舞台となっていたそうです。山崎の合戦は、この山を制したほうが事実上の天下をとることとなったせいもあって、今でもスポーツなどの重要な試合では天下分け目を意味する「天王山」という言葉が使われます。/
//
/とはいうものの、この天王山は標高２７０ｍと決して高くて険しい山ではありませんが、京都と大阪の境に位置する交通の要所だったのでしょう。天王山と言えば名神高速道路の渋滞ポイントで、小さい頃からテレビやラジオの渋滞情報で「天王山トンネルを先頭に…」という言葉をよく聞いたものです。よく渋滞するので、天王山トンネルでは右ルート、左ルートと分岐道路が作られています。そのせいか、それとも運転する時間にもよるのか、天王山トンネルですごい渋滞に遭ったという記憶がそれほどありません。単に忘れっぽいだけなのかもしれません。/
//
/そういう意味でもσ(^_^)の人生は常に天王山です。</description> 
<content:encoded><![CDATA[１５８２年、本能寺の変で織田信長が自害した後に明智光秀は、豊臣秀吉と天王山で山崎の合戦を展開し、光秀軍が敗れました。明智光秀の三日天下といわれるものです。天王山は南北朝や応仁の戦乱でも戦略上の要地として争奪の舞台となっていたそうです。山崎の合戦は、この山を制したほうが事実上の天下をとることとなったせいもあって、今でもスポーツなどの重要な試合では天下分け目を意味する「天王山」という言葉が使われます。<br />
<br />
とはいうものの、この天王山は標高２７０ｍと決して高くて険しい山ではありませんが、京都と大阪の境に位置する交通の要所だったのでしょう。天王山と言えば名神高速道路の渋滞ポイントで、小さい頃からテレビやラジオの渋滞情報で「天王山トンネルを先頭に…」という言葉をよく聞いたものです。よく渋滞するので、天王山トンネルでは右ルート、左ルートと分岐道路が作られています。そのせいか、それとも運転する時間にもよるのか、天王山トンネルですごい渋滞に遭ったという記憶がそれほどありません。単に忘れっぽいだけなのかもしれません。<br />
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そういう意味でもσ(^_^)の人生は常に天王山です。]]></content:encoded> 
<dc:subject>旅行</dc:subject> 
<dc:date>2006-03-17T20:21:38+09:00</dc:date> 
<dc:creator>higuma</dc:creator> 
</item><item rdf:about="http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=16&amp;a=0">
<title>京都競馬場</title> 
<link>http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=16&amp;a=0</link> 
<description>京阪電車の淀駅を下りて徒歩５分ほどで京都競馬場に着きます。競馬開催時は急行も止まったりします。 淀駅すぐ近くにあるということから、京都競馬場は「淀」と称されることもあります。中央には噴水のある池があり、ターフには淀の坂といわれる坂もあります。通常は天皇賞(春)、菊花賞、秋華賞、エリザベス女王杯、マイルチャンピオンシップの５つのＧ?レースが行われますが、今年は宝塚記念も行われます。/
//
/座席については指定席を取りたいなら、朝から並んだ方が良いと思います。料金は千円から３千円です。σ(^_^)はどこの競馬場で/
/も自由席です。１度だけしか行ったことのない、この京都競馬場も自由席でした。入場料は２００円。ただ、Ｇ?レースの場合は朝早く行った方がいいみたいです。/
//
/競馬ファンの人なら誰でも知っていると思いますが、ライスシャワーという馬がレース中に、このターフで最期を迎えました。 /
//
/σ(^_^)は競馬でも人生でもライスシャワーには縁がないと思います・・・(-。-)ボソッ</description> 
<content:encoded><![CDATA[京阪電車の淀駅を下りて徒歩５分ほどで京都競馬場に着きます。競馬開催時は急行も止まったりします。 淀駅すぐ近くにあるということから、京都競馬場は「淀」と称されることもあります。中央には噴水のある池があり、ターフには淀の坂といわれる坂もあります。通常は天皇賞(春)、菊花賞、秋華賞、エリザベス女王杯、マイルチャンピオンシップの５つのＧ?レースが行われますが、今年は宝塚記念も行われます。<br />
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座席については指定席を取りたいなら、朝から並んだ方が良いと思います。料金は千円から３千円です。σ(^_^)はどこの競馬場で<br />
も自由席です。１度だけしか行ったことのない、この京都競馬場も自由席でした。入場料は２００円。ただ、Ｇ?レースの場合は朝早く行った方がいいみたいです。<br />
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競馬ファンの人なら誰でも知っていると思いますが、ライスシャワーという馬がレース中に、このターフで最期を迎えました。 <br />
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σ(^_^)は競馬でも人生でもライスシャワーには縁がないと思います・・・(-。-)ボソッ]]></content:encoded> 
<dc:subject>旅行</dc:subject> 
<dc:date>2006-03-16T02:08:49+09:00</dc:date> 
<dc:creator>higuma</dc:creator> 
</item><item rdf:about="http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=15&amp;a=0">
<title>天ヶ瀬ダム</title> 
<link>http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=15&amp;a=0</link> 
<description>平等院のある宇治市から宇治川に沿って西の方へ山の中に入っていくと天ヶ瀬ダムがあります。淀川筋で最初にできた多目的のアーチ式のダムです。/
//
/戦後間もない頃に大洪水があり、宇治市とその周辺に大きな被害が出ました。この災害から淀川水系治水が計画されて、このアーチ式の多目的ダムが完成しました。ダムにせき止められてできたダム湖は、鳳凰湖と名づけられています。ここでも平等院にあやかるというか、宇治と言えば鳳凰なのかと思ってしまうぐらいです。/
//
/管轄は関西電力天ヶ瀬発電所となりますが、ここには関西の多くの小学校が遠足で、または社会見学で訪れます。σ(^_^)も社会見学で訪れました。それ以来、天ヶ瀬ダムには行ったことがありません。もう１度行きたいかと聞かれても、行きたいとは答えないと思います。何かね普通のダムだったような気がするんですよ。まぁ、普通のダムでもいいから行きたいと思う方は行ってみればいいんじゃないかと思います。</description> 
<content:encoded><![CDATA[平等院のある宇治市から宇治川に沿って西の方へ山の中に入っていくと天ヶ瀬ダムがあります。淀川筋で最初にできた多目的のアーチ式のダムです。<br />
<br />
戦後間もない頃に大洪水があり、宇治市とその周辺に大きな被害が出ました。この災害から淀川水系治水が計画されて、このアーチ式の多目的ダムが完成しました。ダムにせき止められてできたダム湖は、鳳凰湖と名づけられています。ここでも平等院にあやかるというか、宇治と言えば鳳凰なのかと思ってしまうぐらいです。<br />
<br />
管轄は関西電力天ヶ瀬発電所となりますが、ここには関西の多くの小学校が遠足で、または社会見学で訪れます。σ(^_^)も社会見学で訪れました。それ以来、天ヶ瀬ダムには行ったことがありません。もう１度行きたいかと聞かれても、行きたいとは答えないと思います。何かね普通のダムだったような気がするんですよ。まぁ、普通のダムでもいいから行きたいと思う方は行ってみればいいんじゃないかと思います。]]></content:encoded> 
<dc:subject>旅行</dc:subject> 
<dc:date>2006-03-15T01:42:19+09:00</dc:date> 
<dc:creator>higuma</dc:creator> 
</item><item rdf:about="http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=11&amp;a=0">
<title>宇治上神社</title> 
<link>http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=11&amp;a=0</link> 
<description>１９９４年１２月に「古都京都の文化財」のひとつとして、平等院鳳凰堂とともにユネスコの世界文化遺産に登録されました。/
//
/宇治上神社は日本最古の神社建築で、創建年ははっきりしませんが平安時代に建てられたという本殿があります。本殿は檜皮葺きの屋根で覆われていて、日本最古の神殿建築で国宝となっています。山門は小さく質素で、山門をくぐるとすぐに拝殿があります。拝殿の前には氏子により奉納された&quot;清め砂”があります。拝殿は鎌倉時代の建築ですが、縋破風といわれる手法が用いられていて、住宅風となっている点に特色があります。京都でもここだけでしか見られないものだそうです。この拝殿の脇には、小屋に囲われて大切に保存されている宇治七名水の１つ、桐原水という自然水が湧き出ています。/
//
/また、境内の春日神社社殿は重要文化財に指定されています。宇治上神社は現在の宇治神社、宇治上神社の両神社二社一体で「離宮明神」「離宮上社」と呼ばれていました。応神天皇、仁徳天皇、菟道稚郎子をおまつりしています。藤原氏が平等院を建立した後、宇治上神社はその鎮守社として、崇敬を集めたといわれています。/
//
/近くに大型バスが駐車できる駐車場がないこともあり、平等院に比べると訪れる人も少なく、木の生い茂る静かな場所でσ(^_^)には穴場のように思います。平等院もいいですが、ぜひこちらも訪れてみてはいかがでしょうか？平等にね(≧▽≦)b</description> 
<content:encoded><![CDATA[１９９４年１２月に「古都京都の文化財」のひとつとして、平等院鳳凰堂とともにユネスコの世界文化遺産に登録されました。<br />
<br />
宇治上神社は日本最古の神社建築で、創建年ははっきりしませんが平安時代に建てられたという本殿があります。本殿は檜皮葺きの屋根で覆われていて、日本最古の神殿建築で国宝となっています。山門は小さく質素で、山門をくぐるとすぐに拝殿があります。拝殿の前には氏子により奉納された"清め砂”があります。拝殿は鎌倉時代の建築ですが、縋破風といわれる手法が用いられていて、住宅風となっている点に特色があります。京都でもここだけでしか見られないものだそうです。この拝殿の脇には、小屋に囲われて大切に保存されている宇治七名水の１つ、桐原水という自然水が湧き出ています。<br />
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また、境内の春日神社社殿は重要文化財に指定されています。宇治上神社は現在の宇治神社、宇治上神社の両神社二社一体で「離宮明神」「離宮上社」と呼ばれていました。応神天皇、仁徳天皇、菟道稚郎子をおまつりしています。藤原氏が平等院を建立した後、宇治上神社はその鎮守社として、崇敬を集めたといわれています。<br />
<br />
近くに大型バスが駐車できる駐車場がないこともあり、平等院に比べると訪れる人も少なく、木の生い茂る静かな場所でσ(^_^)には穴場のように思います。平等院もいいですが、ぜひこちらも訪れてみてはいかがでしょうか？平等にね(≧▽≦)b]]></content:encoded> 
<dc:subject>旅行</dc:subject> 
<dc:date>2006-03-11T01:48:18+09:00</dc:date> 
<dc:creator>higuma</dc:creator> 
</item><item rdf:about="http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=10&amp;a=0">
<title>対鳳庵</title> 
<link>http://suk2.tok2.com/user/higuma/?mod=day&amp;y=2006&amp;m=03&amp;d=10&amp;a=0</link> 
<description>平等院東側にある宇治市営の茶室で平等院鳳凰堂に相対しているので「対鳳庵」と言います。宇治市観光センターの隣にあります。本格的な数寄屋造りの茶室で、宇治茶の振興と茶道の普及を目的としていますが、気軽にお茶が楽しめます。また、季節のお菓子も美味しいです。作法がわからなくても、それなりに楽しめると思いますので、平等院観光の休憩として立ち寄ってみるのも良いと思います。 </description> 
<content:encoded><![CDATA[平等院東側にある宇治市営の茶室で平等院鳳凰堂に相対しているので「対鳳庵」と言います。宇治市観光センターの隣にあります。本格的な数寄屋造りの茶室で、宇治茶の振興と茶道の普及を目的としていますが、気軽にお茶が楽しめます。また、季節のお菓子も美味しいです。作法がわからなくても、それなりに楽しめると思いますので、平等院観光の休憩として立ち寄ってみるのも良いと思います。 ]]></content:encoded> 
<dc:subject>旅行</dc:subject> 
<dc:date>2006-03-10T23:45:03+09:00</dc:date> 
<dc:creator>higuma</dc:creator> 
</item></rdf:RDF>