意見が増えたというか、感じることが多くなったというか
なんだか感受性が活発になってきた。
ようやくスイッチが入った、と言うべきか。
本当は数日前に深夜放送のエヴァに感化されて、
ざっと50行くらいは書いたところで、母のPCの糞仕様によって
電脳空間の狭間に吸い込まれてしまったので
それが大きなモチべの低減になった。あれは惜しかったなぁ。
まぁ長く書いていると、そんな経験も一度や二度じゃないから別にいいけどね。
昔物書きさんを続けていたとき、2時間の集大成を書き終えて
「送信」ボタンを押した瞬間にワイヤレスが不通になり
超長文がお釈迦になったこともあったなぁ。
今となってはいい思い出。あの後一週間は更新しなかった覚えがある。
さて、スイッチが入ると、色々と主張したいところも多くあるのだが・・・
まず書きたいことは「本質的であること」である。
まぁ一言で言うと、内容が大切だ、ってこと。
こっからいつものようにgdgd書いていきますよ。
先日、チャーリーズエンジェルという映画を地上波で見た。
チャーリーと呼ばれる謎の男の指令を受ける「エンジェル」なる美女三人が
活躍するという、わかりやすい活劇映画。凝った内容ではない。
けれど、台詞回しだとか、結構面白く見ていられる映画だったと思う。
これを見て思ったのが、映画とCG映画を別にしてもらいたい、と思った。
このエンジェル達は能力、知識、技術が全てにおいて万能であって
少ない情報からあれやこれやして、敵を突き止め、追い詰め、捕まえてしまう。
そういう現実離れした設定から、どことなくコメディのようなテイストがする。
シリアスな展開に持ち込んでいるような雰囲気はいくつかあるのだが
それまでやりたい放題現実離れしておいたら、どことなく間抜けに見える。
アクションシーンともなると、これが重力とか慣性とか色々無視した動きをする。
格好いいっちゃ格好いいんだけど、「これはネタなのか?」と
笑いどころなのかシリアスシーンなのか戸惑うことが多々あり。
CGって不可能を可能にする、というよりも
現実との折り合いを避けるようにしてるんじゃないか。と思う。
逆にマトリックスっていうのはそこが上手くできていて
マトリックスっていう現実ではないところで、現実離れの動きを見せる
また、現実でありながらも機械やら、「救世主」の謎の力で現実離れをする。
そういった設定を生かすのは、徹底した世界観つくりであって
そこは地球ですらないため、非常に論理的で分かりやすい。
これならCGをふんだんに使って映像の繊細さとか技術の高さとか
粋を集めた作品です、と見ていられる。
しかしエンジェルは超人的である、というだけで、いかんせん安っちい
こういう「無理のある設定を押し通す」のは日本のテレビくらいだと思っていたのに
少なからずショックを受けた今日このごろ。
考えてみれば、漫画原作だとか、ハリウッドも日本のドラマも
手法が似ているなぁ、と思う。
ただ演技までも非現実的になる日本ドラマよりはタチがいいかもしれない。
三谷幸喜カムバック。
もうひとつ。
初音ミクが少し前のマイブームだった。
この初音ミクというのは非常に面白い。というのは、
ニコニコ動画において、初音ミクという楽器縛りで音楽をプロデュースしているわけで
その中で玉石混交があって、プロデューサーによって大分個性が違う。
もちろん完成度の高さ低さもあるのだけれど、ひとつのジャンルとしてアリだと思う。
まぁあくまでごく個人的な趣味だから絶対的に良いというわけではない。
でも音楽業界ってそういう風にはできていないよなぁ、と思う。
特にジャニーズ関係に多い気がする。何人も名曲プロデューサーがいるのに
これは嵐の曲、これはSMAPの曲、と分類されている。
やはり作品は監督、プロデューサーにかかっているわけで
プロデューサーが作った曲ごとにCDが作られてもいいんじゃないか、と思う。
というのも、使い捨ての業界で、鳴り物入りの持てはやされた新人が
「今回の曲は思春期の女の子の淡い恋心を歌った歌詞で〜」とか
「今回の役は高校生でありながら一家を支えるという難しい役どころで〜」とか
そんなこと言ったところでちっとも面白くも説得力もないし、
話題や流行に乗っかったアイドルのツラ看板一枚で
リズムと歌詞とトラックがあれば、なんでも売れるような風潮はやめてもらいたい。
ということをラジオを聴いていて思った。いつも通りだが。
崖の上のポニョとマイケルの話題をラジオじゃよく聞く。
気になってるのはもちろんポニョで、それはポニョのDVDの販促であることは分かっているのだけれど
ポニョのウリはCGを使っていない、っていうことにあるらしい。
もしかしたら宮崎駿も同じことを考えたかもしれない。
まぁあんな巨匠が私と同じ思考回路を持っているわけはないのだが
CGを使うと反則になる、と思う。
アニメに使えば現実らしく、ドラマや映画に使えば非現実らしくなる
それを求めている風潮はあったと思う。でもそれはやっぱり違う。
CGを使うことで、表現が広がるんじゃなくて、ルール無用になる気がする
それはハンド無用のサッカーのような、トラベリング無用のバスケのようなもので
そっちのほうが便利だから、いっぱい点が入るから良いといっているような気がする
あくまで気がする、という領域を出ないけれど、少なくとも作品に
物足りなさや不自然や不満などを抱く原因はそこにある気がする。
世間の人はそれを確かに感じているんじゃないか。
アニメはカクカクに動かなくなったし、ドラマは綺麗になった。
でも人が本当に求めているのはそれじゃなかった。
むしろ、制限された中で精一杯表現された作品の数々にこそ作品の価値があった。
ドラマなら金八、アニメならドラえもんやらサザエさんやら。
本質を求めるのが文化じゃないのだろうか。
結局は、良い物≠売れるものっていう安易な位置に落ち着く話なんだけど
芸術的な面においての商売って、全てが「売れる商品」ばかりな気がしてならない。
メディアが作った流行や人気に載せて、音楽もファッションもドラマも映画も、先日書いた「本」も
その場その場で売れることにばかり特化して、読むに値しない
聞くに値しない、見るに値しない、考えるに値しない。
そんな気がする。
そんな価値観を持ってるから私は浮世離れしているんだなぁ。
この性格を本当にどうにかしたいもんだ。
でわ