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名前コウチャン
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理屈で自然は動かない
聖書にせよ仏典にせよ解釈次第でどんな教義でも成り立ちます
しかし教義のために自然がある訳ではありません
自然の範囲は此処から此処までと制限されないので
どんな崇高な教義をもってしても自然には逆らえないのです
結局 意思も意識も及ばない「こころ」にはカタチがない事実を認めることになります


自然の全てに常に通じている
森の中にいれば心が澄んできます。木の葉がしきりにカサカサする音、風が葦を揺らす音、水場で鳴くカエルの鳴き声といった自然の音だけが聞こえ、何の雑念も生じません。そこで、心をがらんと開け、自然を全身で受け入れれば、自然と私は別々のものではなくなります。自然が私の中に入ってきて、私と完全に一つになるのです。自然と私の境界がなくなる瞬間、奥妙な喜びに包まれます。自然が私になり、私が自然になるのです。(「平和を愛する世界人として」文鮮明自叙伝 p50)


 「こころ」そのものにはカタチがない事実を認め身につけると、森の中でなくても、駅前の雑踏の中でも、一人住まいのアパートでも、電車・バスなど乗り物の中でも、時と所を選ばず常に「こころ」は澄み切っています。カタチがないということは、障碍になるものが何もないわけですから、どこまでも見通せます。それは自然の全てに常に通じているのです。私の「こころ」と自然の「こころ」との境がないからです。
 


カタチだけの選挙無用
歌を歌うために生まれてきた人がいるように
天の命により「よく」や「みえ」を超えて
政治家になるために生まれてきた人がいる筈
「こころ」にカタチがない事実を認めると
その事実が明らかになって選挙が無用になります


根っこの「こころ」
「こころ」そのものにはカタチがない事実を認めると、「よく」や「みえ」がとても狭く小さく見えます。カタチのない「こころ」には「なんでも」あるという、その在り方は平面的でなく立体的重層的に存在しているのです。最も狭く小さい「くるしみ」は閉ざされて知恵も力も発揮できません。だから、お先真っ暗、行き詰まりを感じるのです。そこへ希望という「よく」があれば、少々の苦しみは飲み込んでしまいます。「くるしみ」よりも「よく」のほうが広いからです。その「よく」も自分の意思や意識ではどうすることもできません。意思や意識が及ばないからです。そこへカタチに拘る社会体制などという「みえ」が働くと「よく」は引っ込んでしまいます。見た目にはカタチですが、根っこの「こころ」が意思や意識を働かせているのです。つまり意思や意識を根底にするのではなく、その奥にもっと大きな根っこの「こころ」をベースにするのです。そのベースは自然そのものですから、有形無形の全ての存在を包み込んで支えています。だから「よく」は「よく」として「みえ」は「みえ」としてそれぞれに分に応じて生かされます。だから何ものも邪魔にならず壊すことも排除することもないわけです。

国民感情
裁判官に国民感情がないから裁判員制度があるというのだが
一般市民が突然人を裁く重責を強要されるのは
それこそが国民感情を脅かすものではないだろうか
裁判官という責務の中に国民感情が根付いていれば
誰もが納得できる裁判が行われるはず


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