|
| ■ 今熊野観音寺 |
| 2006年03月26日 02:04:42 [旅行] |
泉湧寺の北側に今熊野観音寺はあります。泉湧寺と同じくJRと京阪電鉄東福寺駅から徒歩約20分、京都駅からバスで泉涌寺道下車徒歩約10分の所にあり、拝観無料です。
これまでに何回か言っていますが、σ(^_^)の実家は西国三十三箇所参りをしています。で、ここ今熊野観音寺は西国三十三箇所観音霊場の第十五番札所でもあります。その他にもぼけ封じ・近畿十楽観音霊場の第一番札所、洛陽三十三所観音霊場の第十九番札所でもあります。「頭の観音さん」として広く人々の信仰がある真言宗泉涌寺派の寺です。ここも紅葉の名所なようで、本堂前には「五色のもみじ」があります。穴場の紅葉スポットではないかと思います。
平安時代初期、弘法大師空海が唐から帰朝した頃、嵯峨天皇の勅願により創建されたようです。空海が東寺で真言密教の修行をしていた時に、東山の山中に光が差し、そこへ行くと山中で老翁に会い、一寸八分の十一面観世音菩薩像と一夥の宝印を老翁から授かったそうです。その老翁は自分は熊野の権現だと伝えました。空海は熊野権現のお告げのまま、体内仏として自ら十一面観世音菩薩像を彫刻し、安置したのが始まりとされています。1200年経った今でも、十一面観世音菩薩像は弘法大師作の秘仏として大切に祀られています。またこの時に空海が、観世音を祀る霊地を選ぶために杖で岩根を叩くと霊泉が湧き出したそうで、空海はこの泉を「五智水」と名付けたそうで、今もその水は湧き出しています。後白河天皇が、を深く今熊野観音寺信仰し、新那智山と号して今熊野観音寺と称したようです。 今熊野観音寺ということは昔は何観音寺だったんだ?というほっしゃん的なオチしか思い浮かびませんでした・・・。 |
Comment(534)
|
TrackBack(0)
|
|
| ■ 泉湧寺 |
| 2006年03月25日 00:43:07 [旅行] |
東福寺の奥手にあり、JRと京阪電鉄東福寺駅から徒歩約20分、京都駅からバスで泉涌寺道下車徒歩約10分の所にあり、拝観料は300円です。
弘法大師空海が建立した法輪寺が始まりで、後に仙遊寺改称されました。1218年宋から帰朝した月輪大師によって再興されましたが、その際、境内より清泉が湧き出したので、泉涌寺と改名されました。この泉は今も枯れる事なく涌き続けています。後鳥羽上皇が月輪大師に帰依してからは皇室の信仰が厚く、1242年四条天皇陵が境内に造営されたのを始めとして、江戸時代には後水尾天皇から光明天皇まで歴代の天皇陵や皇族など25陵もの陵墓が造営されました。皇室の菩提所であることから御寺と呼ばれ、真言宗泉湧寺の総本山でもあります。東福寺とともに紅葉の名所でもあります。
境内には仏殿・舎利殿・観音堂・開山塔などの伽藍が並んでいます。大門は重要文化財に指定されていて、京都御所から移築されたものと伝えられています。また、伽羅中心部よりも高い所に建っているのは珍しいそうです。大門の正面にある仏殿は、徳川家綱が再建した重層入母屋造りの禅宗様式建築で重要文化財に指定されています。運慶作と伝える釈迦・弥陀・弥勒の三尊が安置され、天井画と裏堂の白衣観音の壁画は狩野探幽筆とされています。 また、唐の玄宗皇帝が亡き楊貴妃の冥福を祈り、楊貴妃に似せて彫らせたと言われる楊貴妃観音像も安置されています。昭和30年までは100年に1度しか公開されなかったらしいです。確かに美しい見事な観音様だと思いました。その美貌で皇后の座についた楊貴妃にあやかろうと、良縁・美人祈願に訪れる女性も多いとか。神頼みで美人にはなれないと思うので、自分で切り拓いて良縁を見つけるしかなさそうだと思います。
σ(^_^)の親父も会社で、自分の嫁は「ヨウキヒ」みたいだと言っていたようです。ちなみに親父が言うには、その「ヨウキヒ」とは「陽気なヒヒ」の略だそうです。 |
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
|
| ■ 東福寺 |
| 2006年03月24日 00:12:25 [旅行] |
JRと京阪電鉄の東福寺駅から徒歩で8分ほど、京都からも市バスが出ています。京阪電鉄の鳥羽街道からも歩いて行けます。拝観料は通天橋と方丈庭園がそれぞれ400円ずつです。
東福寺は摂政の九条道家が1236年に建立を発願してから、19年がかりで完成した大寺で、聖一国師を開山として造営したものです。臨済宗東福寺派の大本山です。山号は慧日山といいます。京都五山のひとつで、1334年には京都五山の第3位になっています。奈良最大の寺院の東大寺のように、また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で,「東」と「福」の1字ずつを取ったものと言われています。初めは建仁寺と同様に禅を中心として天台・真言・禅の各宗兼学の堂塔を完備しましたが、次第に禅寺となっていきました。何度も火災で焼失していますが、その都度、足利義持、豊臣秀吉、徳川家康など時の権力者によって再興されて、禅宗伽藍が整えられていきました。 明治14年に惜しくも仏殿・法堂・方丈・庫裡を焼失しましたが、随時再建されました。
有料の通天橋と方丈庭園を中心に三門・禅堂・東司などを拝観するのが一般的だと思います。通天橋は本堂と聖一国師の塔所で上層に楼閣を乗せた珍しい建物である開山堂を結ぶ歩廊の途中の川に架かる橋です。紅葉の名所でもあり、通天橋のバックに紅葉を入れると良い構図となります。方丈庭園はその名の通り、苔と石の市松模様が美しい庭です。三門は空門・無相門・無作門の5間3戸、重層入母屋造りの雄大な門です。足利義持の再建で現存する禅宗の三門では日本最古のもので国宝となっています。禅堂は日本最古で最大のもので重要文化財となっています。三門西側にある東司は室町時代に建てられた禅宗式トイレで、百雪隠とも呼ばれて重要文化財になっています。窓からのぞくと多くの壺と説明板があります。禅僧にとっては用を足すことも修行の1つだったようです。
σ(^_^)はこのブログで毎回のようにオチをつけることが修行みたいになっています。 |
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
|
| ■ 伏見稲荷大社 |
| 2006年03月23日 01:55:45 [旅行] |
JR稲荷駅から徒歩3分、京阪電鉄伏見稲荷駅から徒歩5分のところに伏見稲荷大社があります。大社への参道には伏見人形、稲荷寿司、キツネの煎餅などのお土産物店が並びます。驚くのがスズメとウズラの姿焼き。食べる気にはなりません。
稲荷山の山麓に位置し、全国約4万の稲荷神社の総本宮です。711年の創建で、京都で最も古い神社の一つです。お稲荷さんの愛称で親しまれ、初詣も賑わいます。渡来人の秦氏が農耕神として祀ったのが最初といわれています。秦氏は小豪族として勢力を伸ばしました。伏見稲荷大社は『枕草子』や『蜻蛉日記』にも登場し、五穀豊穣、商売繁盛、交通安全などのご利益があります。
大鳥居を抜けると絢爛とそそり立つ桜門、そして檜皮葺きの本殿、権殿など重厚な社殿が並んでいます。本殿は、応仁の乱で焼失し、室町時代に再建されたもので、重要文化財に指定されています。蓮、牡丹唐獅子など、稲荷彫刻などの桃山彫刻が配されています。
伏見稲荷大社の中でも圧巻なのが千本鳥居です。その数約2万とさえいわれています。稲荷山山腹の奥宮から奥社にかけて林立する鳥居が千本鳥居と呼ばれています。隙間無く建ち並ぶ朱色の鳥居は、本当にすごいです。迷路にいるような感覚にもなります。これを抜けるとお山めぐりという約4kmのちょっとしたハイキングコースがありますが、しんどそうなのでσ(^_^)はやめました。
稲荷神社のシンボルである狐の像が、様々な所にあり、その表情も違うので楽しみながら歩いてみてください。また、ユニークといえるのかわかりませんが、奥社におもかる石という石があります。燈籠の最上部の石がそれです。この石を持ち上げたとき軽いと感じたら願い事が叶い、重いと感じたら叶わないといわれています。まぁ、重いといえば重いし、軽いといえば軽いんでしょうけど、やっぱり石ですからそれなりの重さはあります。ですので、その石を持つ前に「この石は大型冷蔵庫ぐらいの重さがある!」と固定観念を植え付けておくと、とっても軽く感じると思います。 |
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
|
| ■ 伏見の酒 |
| 2006年03月22日 01:03:44 [旅行] |
伏見といえば兵庫の灘と並ぶ酒の産地として有名です。現在、34の蔵元があり、生産量でも灘に次いで全国2位を誇っています。
その歴史は古く、日本に稲作が伝わった弥生時代まで遡るそうです。その酒が花開いたのは、安土桃山時代。豊臣秀吉の伏見城築城とともに城下町として栄え、京・大坂・堺に次ぐ都市になったのです。酒の需要も急激に高まり、改良されて伏見の酒も一躍脚光を浴びました。江戸時代には伏見は港町として発展し、伏見の酒は旅人の口こみで有名になりました。参勤交代制度ができると、西国大名は伏見でしばらく滞在して、江戸へ行くようになりました。このために伏見には多くの大名屋敷・倉庫・旅籠が建ち並び、重要な拠点となったのです。それにともなって造り酒屋の数も急増したのです。
しかし米が貴重な時代ですので、幕府から制限を受けて、経営困難になる蔵が続出しました。また、幕府は灘や伊丹、池田を幕府直轄の酒造地として手厚く保護する一方、伏見の酒はその対象からはずれ、京の町へ伏見の酒が入ることを禁止したので、伏見の造り酒屋は激減しました。幕末まで生き残って酒造業を続けたのは、たった二軒だけ。その1軒が鮒屋こと北川本家で、もう1軒が笠置屋(現在の月桂冠株式会社)です。明治時代になって伏見の酒は勢いを盛り返し、全国にその名を知らしめました。明治44の農商務省主催全国清酒品評会では、出品28点のうち伏見の酒の入賞が23点と全国最高位を占め、中でも月桂冠は最優等の栄冠を手にしたのです。
酒造りにはうまい水が欠かせません。良質で豊富な地下水に恵まれることが、銘醸地の条件といえます。伏見はかって「伏水」ともいわれていたように、良質の地下水が豊富に湧き出る場所でした。そのすぐれた地下水の伝説をもつのが御香宮神社です。今でも境内に清泉が湧き、「日本名水百選」のひとつに選ばれています。伏見の水の水質は鉄分を含まず、カリウム・カルシウムなどをバランスよく含んだ中硬水で、酒造りに最適の条件を満たしています。ちなみに灘の宮水は硬水です。この水の違いにより、灘の酒は一般的に辛口で“男酒”と呼ばれるのに対し、伏見の酒はきめが細かくふっくらとしたやわらかい味の“女酒”と呼ばれてます。
ちなみにσ(^_^)はどちらかというと酒より女の方がいいですが、女はσ(^_^)より酒の方がいいみたいです。 |
Comment(37)
|
TrackBack(0)
|
|
|
(C)2004 copyright suk2.tok2.com. All rights reserved.
|